終章 もしくは 愁傷


 SU<アエロフロート>−695C便は13時ちょうど、日本に向けて飛び立った。シベリアの大地がぐんぐん下になる。
 ハバロフスクを発って約1時間、ドリンクサービスに現れた(もちろんそれまでおしぼりサービスもなければアメ玉サービスもない)スチュワーデスは、なんと往きの飛行機に乗務していた二人だ。
「この路線には、彼女たちしかいないのかなぁ」
 さっき耳にした編隊飛行の話が本当なら、きっとあとの飛行機はセルフサービスだ。来る時は紙コップだったが、帰りはすでに国内線でお馴染みの、うすらわびしいプラスチックの丸いコップ。もらったジュースはソ連の旅のとどめとばかり滅茶苦茶に甘く、青臭かった。素人が作った固まらないジャムをそのまま飲んでいるようだ。
 僕の席のテーブルは、前の座席の背もたれの裏に留めてあるレバーがきつくて回せなかった(緩くて飛行機の振動で勝手に回ってしまい、突然テーブルが目の前に倒れてくるのはザラにあった)のを、そのスチュワーデスはむんずと掴んでぐいと回してしまった。いやあ美人といえどもすごい力だ。カメラを出して窓に向けようものなら、いったいどんな目に合わされることやら。
 続いてすぐさま配られた機内食は、今度は紙箱ではなくちゃんとトレイに載せられてきた・・・というと聞こえはいいが、くすんだ茶色いプラスチックの皿が並んで、これまたうらぶれた感じ。新潟発とハバロ発のこの違いを、彼女たちは配りながらどう感じているのだろう。
「使い捨てのものが少ないですね」
 隣に座っていたお坊っちゃまが囁くが、まったくその通りだ。紙ナプキン以外はまた洗って使うのだろう。しかし、これがまっとうなやり方で、使い捨てに頼るというのは浪費社会の毒に僕らの頭が冒されているのかもしれないぞ。セロハン紙に包まれた(もちろん袋の口はシールなんかしていない)プラスチックのフォークとナイフは、これこそ使い捨て風のペナペナの物だったので持ち帰ってキャンプのときに使おうかと思ったが、これもきっとアエロの備品で、あとで数が合わなくなって彼女たちが叱られるんじゃないかと思えたので残しておくことにした。これまたプラスチックの爪楊枝は、ビニールチューブの鞘がついていて、なかなか持ち歩くのに良さそうだったので戴いてきたが(つまり、これも使い捨てには見えなかったということだ)・・・物資が乏しいとされるソ連からありがたがって物を持ち帰るというのも相当にせこましい。

 食事が終わった頃、突然耳が痛くなった。鼓膜が破れそうだ。何度も唾を飲み込むと耳の奥でバリッとものすごい音がして一時はおさまったが、すぐにまた鼓膜が張ってくる。往きの飛行機のような急降下感はなかったが、これまたたいへんな勢いで高度を下げているようだ。行きが元戦闘機乗りなら、こちらは元偵察機乗りのパイロットだ。やがて、目の下に越後平野が見えたとき、僕はううむとうなってしまった。まるで障子戸を並べたように綺麗に耕地整理された田圃が、視野いっぱいに広がっている。つい今しがたまで見ていた、自由奔放勝手気ままに川が流れるシベリアの大地とはなんという違いだ。なんと我々は勤勉でいじらしい国民なんだろう。
 地面はだんだん近づいてくる。時計を2時間戻して12時37分、新潟着。わずか1時間40分足らずで着いてしまえることに、改めてソ連の近さを感じた。見送ってくれるスチュワーデスは往きにハバロで別れたときよりも機嫌がいい。ソ連の外貨獲得に貢献してやったもんな。もっとも、買ってきたのが缶ヅメとは情けないが。

 ハバロフスク空港に比べると格段に明るいターミナルで入国手続き。ここの係員は今にも「お帰りなさい」と言ってくれそうな雰囲気だったが、税関では「何を買ってきましたか?」と不機嫌そうな声で、しかし威圧的な態度は崩さずに尋問してくる。ソ連の税関のほうがずっと愛想がいい。酒2本とレコードと答えておいたが、トイレのプレートと言ったらどんな顔をしただろうか。
 UNOツアーの一行は空港ビルでそのまま流れ解散みたいな形になる。長老や河野サン、前田サンの姿を人ごみの中で見失い、そしてそれきりになってしまった。一週間前、この場所に集まって来た仲間が、この場所で散りぢりになってゆく。いよいよ旅も終わりだ。
 幾人かの旅仲間と、来たとき同様連絡バスに乗って駅に向かう。空港に来るときは、乗り合わせたのは皆知らない人ばかりだったが、ひょっとするとあの時一緒に乗り合わせていたのかもしれないね。市内のあちこちにプロレスのポスターが貼られ、駅前を「日米ソ、三国対抗シリーズ!(そういえば、今年マット界に本物のロシア人プロレスラーがデビューしたと雑誌に出ていたな)」とがなりたてる宣伝カーのうるささが物悲しく、わめき散らす内容が楽しかったソ連の思い出に水を差すようで寂しかった。
 何だか急に荷物が重く感じられてきて、まだ時間も早いことから、ホームで1本や2本見送っても、座席を確保できる新幹線で帰ることにする。切符を買うときに乗車券は岩原スキー場前までなのに、特急券は高崎までくれと言い張ったものだから、駅員が変な顔をしたのは言うまでもない。
 コンコースからホームへと歩く両側には売店が並び、「新潟名物笹ダンゴはいかが」と声がかかる。出発前に会社の連中に向かって「ソ連まで行くけど、お土産は笹ダンゴですよ」と言ってはいたのだが、もうこれ以上荷物を重くするのは嫌だ・・・というほどの大荷物ではないんだよな、客観的に見ると。あれだけガラクタばかり持って行ったのに、僕のバッグはツアー客の中で一番小さいほうの部類に属していた。
 出札窓口で三婆と別れ、改札からホームへ向かう間にもひとりふたりと仲間の姿が消えてゆく。まるでゆっくり醒める夢のように・・・所詮それぞれが、それぞれの旅の中で一週間同じ時間を過ごしただけのことだ。打ち上げ解散というハッキリ区切りをつけたがる人もいるだろうが、僕はこういう別れ方が、寂しさはひとしおだがその寂しさを含めて、好きだ。同じ時を過ごしたあと、それぞれが自分の旅や暮らしの中に戻って行く。

 無粋なアナウンスに僕の感傷がかき消された。今度出るのは○番線だ。今ドアが開いたのは次の次に出るやつで、次に出るのは清掃中だから焦らずに待てと、親切といえば親切だがやかましい。やがて乗り込んで動き出した車内ではチャンチャカチャンと民謡が流れたあとくどくどと停車駅の案内が始まる。見渡したところ日本人ばかりなのに英語のアナウンスもおまけされ、今朝まで元気いっぱいだったのが日本についてから急速にくたびれてきた。長々と書いてきたこの話、ルーダにサヨナラと言ったところでやめておけば格好良く終われたかもしれないが、でも、これが日本だ私の国だ。ありがた迷惑なほどお節介な連中がうようよしている国だが(僕は、日本人は干渉したがる国民ではなく、干渉されたがる国民だと思っている)、こんな日本もどこか憎めない。やれやれ、帰ってきたんだな。

 ・・・こういう書き方をすると、さも僕が一人で新幹線に乗ったかのようであるが、実際には平家の落ち武者のように僕の周りから一人減り二人減りしながらも、新幹線に乗った時点ではまだ隣に太田サンがいた。といっても楽しい会話が弾むというわけにはゆかず、二人並んでうつらうつらしていたのだが。
 高崎で降りてホームを歩く僕を、後ろの車両に乗っていたサーシャたち4人組が見つけて手を振ってくれた。走り出した列車の中でいつまでも手を振っている彼女たちの姿が消えるまで見送って、こちらもようやく目が醒めた。いかん、高崎線の普通電車の発車まで、もう時間がないぞ。

 家に帰って財布の中身を改めると、所持金は38,553円と2ルーブル57カペイカと4オーストラリアセントであった・・・ビールを飲みすぎたなぁ。(了)