さよなら ルーダ


空港やホテル、行く先々でビザにスタンプが押されるが、最後には回収される
パスポートにはソ連に行ったという記録が残らない
 旅には3つの出会いがある。自然との出会い、歴史との出会い、そして人との出会いだ。中でも僕は人との出会いが大好きで、僕にとって旅とは誰かに会いに行くことかもしれない。だから紙風船やバッジを用意したり、街中で通行人の写真ばかり撮っていたのだろう。
 一週間も一緒に過ごした人から道ですれ違っただけの人まで、今度の旅でも多くの人に会えたが、その中でもルーダと出会えたのは大きな収穫だった。14歳と3歳の子を持つという彼女は、そんな母親としての思いやりを随所に見せてくれ、一緒に旅を続けるうちにいつしかガイドというよりは頼もしい旅仲間という気持ちになっていた。これは僕だけではなく、多分みんなもそう思ったはずだ。だからこそみんなでお金を出し合って彼女にプレゼントをしようという発想が出てきたと思うし、僕もこれには素直に同意した。
 だが、僕にはその前からルーダにプレゼントしようと思っていた物があった。
 それを手渡すきっかけができたのはブラーツクからハバロフスクへ向かう飛行機の中だった。マル添を間に挟んでルーダと並んで座り、彼女の住所を手帳に書いてもらったので、お礼に、という感じで渡せた。
「Ludmila, Present for your children.」
 ハバロフスクに住んでいる彼女は、この夜久し振りに自宅に帰るわけで、われながらこしゃくなセリフだったが、それを受け取った彼女の目は輝いた。
 原田泰司サンの『ふるさとの詩』は、母親としてのルーダには喜んで受け入れてもらえると思ったし、まして彼女は目下日本に興味を持っているのでなおさらだ。そしてこの本は当然予想されたとおりの結果をもたらした。ページをめくっては「これは何をしているところか?」「これは食べ物ですか?」「これは?」と尋ねてくる。この本は日本各地の風俗を描いたもので、僕だって全部を詳しく説明できるものではない。しかもそれを英語でやるんだぜ。秋田の「なまはげ」や上野村の「おひながゆ」はどう言えばいいんだ。ええっと、蓮はロータスで、これのルーツを日本人はレンコンと呼んでイートするのだ、なんてマル添とふたりで汗だくになった。
 一番説明が簡単だったのが新潟県の寺泊だったか、内職で紙風船を作る老婆と表で遊んでいる女の子を描いたもので(富山の薬売りがオマケに紙風船を配って歩くため、富山に近いここが日本有数の紙風船の産地なのだとか)、これは「ターニャ」の一言で理解したようだ。
 後で聞いたらルーダは飛行機が苦手だそうで、このときはかなり気が紛れたらしい。そういえば彼女はブラーツクに行く時もそうだったけど、スチュワーデスが汚物袋を配りにくると(初めから座席のポケットに用意するような無駄なことはせず、希望者にだけ配るのだ)、素早く貰っていたっけ。
 しかしルーダの日本や日本語に対する関心と熱意はたいしたもので、旅の途中で何かを見たり聞いたりすると「これは日本語で何と言うの?」と尋ねてきて、次に同じ物を見たときにはもう日本語だ。一週間でかなりの単語を覚えていた・・・誰だ、一番最初に「テンジョーイン」を教えたのは。彼女に日本語を教える代わりにロシア語を習っておけば今ごろ僕もたいしたものになっているはずなのだが、僕のボキャブラリーはせいぜい初めの5単語が倍になったくらいだった。
 だが、ハバロフスクでガイドをやっていると、日本語ができるということは仕事の上で相当プラスになるはずだ。我々はルーダに言った。
「今度またこの街にくることがあって、日本語ガイドをリクエストしたら・・・ルーダ、我々はやっぱりあなたに会えるだろう」

 でも、本当にまた来ることがあるだろうか。これまで旅で多くの人に会い「ありがとう、また来ます」と別れたままそれっきりの人も多い。所詮旅人の社交辞令で、いちいち気にしてはいけないのだろうが、ルーダも時々思い出しては懐かしく、そして少し心が痛む中のひとりになってしまうのかな。

「I hope your health and happiness.」
「Thank you yery much.」

 税関のゲートの脇に立って僕たち一人ひとりを見送ってくれるルーダに、とても普段は口にできないようなキザなセリフで別れの言葉を言う。文法的に間違っていたって構うものか。
 彼女にしてみたら我々なんて年間何百何千人と出会う観光客のひとりにしかすぎないのだろうが、ビジネスを越えて一緒に旅をした気にさせてくれた(そういえばマル添も添乗員というよりもエンジョイ員で、周囲の人を巻き込んで遊んでしまうのがUNOツアー一行の怪しい魔力だったのかも)のは何よりも嬉しかった。
「ルーブル(紙幣)を持っていますか?」
「ノー、コインオンリー。・・・見せようか?」
「いえ、いいです」
 税関手続き(たったこれだけ)を終えて振り返ると、ルーダは僕たちの姿を追うように覗き込んで立っていた。今、僕がいるところをソ連と日本をつなぐトンネルの中だとすると、彼女はソ連側の出口に立っているわけで、幻が消えてゆくようにだんだん遠ざかってゆく出口の中で、ルーダの姿は一週間の素晴らしい思い出をプレゼントしてくれた確かな存在だった。
「さようなら、ダスビダーニャ」