ぼちぼちいこか


 朝食を終えたらあとはもう空港に行き、帰るだけ・・・のはずだったが、少し時間があったのでデパートに行ってレコードをもう一枚買ってきた。まったく往生際が悪いものだ。よっしゃ買って帰ろうかと決心した例のまな板は、店が開いてなくて買えなかった。思い立った時にすぐに買わねばという教訓になったが、これはそれほど残念ではない。買ったら荷物が重くなるもんな。
 ホテルの隣にある煉瓦造りの建物は、もう何度も見ていたのだけど、2階から降りてくる外階段が1回の窓の辺りで途切れていることに初めて気がついた。手摺りが回りこんで壁につながるかたちで進路を塞いでいるので、上から降りてくると行き止まりの袋小路になってしまう。ソ連のトマソンだ。

たくさんの花が供えられた墓があった
最近埋葬されたそうだ
 シベリアでの兵役経験を持った長老にとって、今度のたびには我々とは違った思い入れもあった。宮脇サンの本の影響もあるようだが、旅の途中でハバロフスクの日本人墓地に行きたいと言い出し、初めは「若い人たちには関係のない話だから、タクシーを呼んでくれればひとりで行く」と言っていたのだが、墓地が空港に向かう途中にあり、帰りのバスに立ち寄ってもらえることになったら「こういうことがあったということを(若い人たちも)知っておくのもいいことだ」と皆に向かって言った。
 自分の意志とは無関係に異国の地で死ぬことを余儀なくされた人の無念さは、いくら今の我々が浮かれていても、心の隅にとどめておかなければならないことだろう。バスは空港の手前で右に折れ、墓地に入って行く。道端で老婆が墓参用に売っていた花の鮮やかな赤い色が目に飛び込んできた。
 ロシア人の墓所(墓標には写真が焼き付けられたり、故人を記念する飾りがつけられたりして、なかなか明るい雰囲気。故人がどういう人だったかが第三者にもよく判る)の奥に日本人墓地があり、入り口の近くには墓参に訪れた福岡県知事が記念に植えた木と、そのことを示す杭が立っていた。
「知事なんて(肩書きを)書かなければいいのに」
 誰かが吐き捨てるように言ったが、それはそこに居合わせた者の気持ちを代表していたのではなかったか。日本から知事という名前を書くために墨を持ってきたのだろうか。それともあらかじめ書き込んだ杭ごと持ってきたのだろうか。そりゃあ観光気分も混じってはいるが、俺たちは、庶民の墓に庶民のひとりとしてやって来ているんだぞ。
 墓地の奥にまだ新しく花で飾られた墓があり、これっはソ連の放送局に長く勤めていた日本人が最近亡くなって埋葬されたのだという。言ってみればこの人は自分の意志でこの地で死ぬことを望んだ人で、ここに眠る兵士たちとは隔たりがあるだろう。だが、あの知事の杭ほど大きな隔たりは無いに違いない。

入国したときから写真に撮りたかった
空港ターミナルの天井
 空港に着くと、静かな墓地での神妙な思いもかき消されてしまう。帰国の途につく日本人でロビーはいっぱいだ。入国したときにも書いた通り建物が古いこともあって、何だか上野駅の中央改札口を連想した。きっと明日はあそこもこうなるのだろうな。ここが上野駅と違うところは、一本見送って次の便というわけにはゆかず、皆同じ飛行機に乗り込もうということだ。しかし、我々より一日早い日程で動いている団体も一日伸びて今日の帰国になっているのだけど、座席の数は足りるのだろうか。この日の便はもともと臨時便だが、さらに臨時便をだして10分おきに3機飛ばすという話もどこかで耳にした。便名は同じで数だけ増やすなんてドリーム号のやり方だが、もし本当にやるのならキッチリ10分間隔で飛び続けられるとは思えないので、アエロの編隊飛行が見られるかも・・・新潟は空襲の恐怖を味わうことになる。

 人ごみに紛れてカメラを出し、どうしても撮りたかった天井の写真を撮る。これで持参したフィルムはすべて使い果たした。

 素早く両替カウンターに並ぶ。なかなか進まない行列の、僕より二人ほど前の人は両替を拒絶されていた。係員にくってかかる彼に、それは正規の両替証明が付いてないから駄目だと教えてやる。搭乗手続きが迫っているのにここで余計な時間をとられたんじゃかなわない。
 自分の番が目前に迫って、列が進まない理由が判った。これまでこちらが現金さえ出せば相手が書き込んでくれていた書類の、両替金額をここでは自分で書かねばならんのだ。それも算用数字ではなく英語で。僕の後ろに並んだUNOツアーの仲間にも教えてやる。今のうちに教えあってすぐ書けるようにしておけよ。僕は自分の5Rとお坊っちゃまから預かった5Rと併せて10Rだからスペルは簡単だ。前の人ほど手間取らず、スムースに1,000円札が2枚と1Kコインが2個出てきた。何だかレートが悪いような気がしたのはずっと後だ(ここでも手数料として50K取られたとすると1R=\211でレートは合う)。
 両替の列を待っている間に税関のゲートが開いており、そんなことを考える余裕もないまま人ごみの中であわただしく通関そして出国手続きと、ソ連の出口は急速に目の前に迫ってきた。これまで泊まったホテルごとにスタンプが押され、最後に出国のスタンプが押されたビザは・・・判っていたことではあるが、そのまま係員が回収した。