旅も終わりに近づいた 気持ちが嵩ぶる


 その後もバカな買い物に精を出したかというと、荷物が増えるのと金が減るのは嫌なので、地図と例の缶ヅメを買ったくらいだった。缶ヅメを買いに食料品店に入ったらカニの足を売っていて、生モノじゃ日本に持ち帰れないしなあと思って眺めるだけにしたのだが、よく考えたらホテルで食べてしまえばよかったわけで、ふだん間食をしないので三度の食事以外に物を食べるという発想がないのが裏目に出た。ガイドブックによると「涙がでるほどおいしい」らしい。いつもあるわけではないらしいから、ますますもって千載一遇のチャンスをフイにしたわけだが、地元の人たちでさえ行列を作って買っている貴重な物をガイジン観光客が横取りしたのでは申し訳ないではないか。そう思えば悔しさもまぎれる。
 ちょっとだけ真面目な話をさせてくれ。これまでソ連の物価が安いように書いてきたが、それはあくまで1R=\211の為替レートでの話だ。聞けばソ連の人の平均賃金は200Rぐらいだという。公共料金が安く押さえられていたり夫婦揃って働くという事情の違いはあるだろうから単純には比較できないけど、そう考えると結構物価は高いんじゃないかと思う。さっきの缶ヅメは1Rだったが、1,000円くらいの感覚ではなかろうか。

「どう? ケーキいらない?」
「うーん、うまそうだな」
シュークリームと煙草を売っていた
客が列をなしている
店先アイスクリームを売る娘
コートを着る季節なのによく売れる
・・・寒い土地柄のせいなのか
とにかくみんな甘い物が好きだ

 午後の街は店も通りも人が多い。食料品店の行列は外の歩道まで続いていた。さすがにこの販売システムの不備は当局も判っているのだろう、歩道にはスタンドや縁日の模擬店のような売店が並んでいて、扱っている商品も菓子、日用雑貨、ちょっとした衣料品までバラエティに富んでいて原宿の駅前の賑わいだ。
 一週間前はメーデーを祝う飾り付けが施されていた街角は、今度は5月9日、戦勝記念日を祝うものに取り替えられていた。この時期はソ連でも祝日が続くから、やっぱりゴールデンウィークなんだな。
 イルクーツク同様、人並みの中を歩いて、時々立ち止まっては人や建物を見て歩く。信号旗の点滅間隔は少し短いので、カメラを構えたりしてぼやぼやしているとすぐに赤になっている。あわてて道路を横切ると、傍らにいた人がニヤニヤしながらこっちを見ている。こちらもそれに応えるように身振りと笑顔で適当に返事をする。ちゃんと会話をしたような気分になるから不思議だ。別れ際に、こちらに来てから覚えたロシア語で「パカ」と言って手を振った。「じゃあね」という程度のサヨナラだそうだ。

 そろそろ夕食の時刻が近づいたので、最後に人並みにウォトカでも買って帰ろうかとベリョースカに足を向ける。ホテルからベリョースカに続く道沿いに公園があり、この中を歩いていると子供が舗道にチョークで絵を描いて遊んでいた。僕は何気ない風を装ってそばのベンチに腰を下ろす。しばらく手の中でカメラをいじくり回しながら、警戒心がほぐれてシャッターチャンスが訪れるのを待つというのがぼくの流儀だが、傍らで見守っているおバアちゃんの監視の視線はなかなか緩まない・・・見覚えのある少年が近寄ってきた。先週ホテルの前でヤミ両替を迫った少年だ。仲間の少年も現れて僕の両側に座った。
 ここでまたしても例の交渉を始めたのだが、ほらみろ怪しげな雰囲気を察して子供がどこかに行っちゃったじゃないか。もう少しでいい写真が撮れそうだったのに。
「そのバッグを売ってくれないか」
「これは思い出のある品だから売れない」
「いくらしたんだ?」
「これはアメリカ製で、日本で買ったら20万だ(あ、一桁間違えた)」
「そんなバカな。オレの父ちゃんは船乗りで日本にも行くから知っているけど、それは高すぎる」
「・・・(ごもっともです)」
 今いる場所がベリョースカの真ん前なので、僕のこれからの行動は黙っていてもとっくにバレている。
「ベリョースカで買い物するんだろう? だったら中でタバコ買ってきてくれよ」
 やれやれ、こちらもとうとう根負けした。あまりいつまでも関わっているとベリョースカが閉まってしまう。オーケー、ここで待ってな。
 白樺屋で赤いウォトカ(ハバロフスクでしか売ってないという話だが、海の向こうの新潟にも「赤い酒」なんてのがあったよな)を2本買い、これはバッグの中にしまいこむ。貯金をはたいて旅に出た貧しい労働者というふれこみにしておいたので、彼らに酒を買ったのを見られるのが何となく嫌だった。こんな小細工をするのならいっそのこと公園の連中に会わないよう、別の道から帰ることも可能だったが、待っていろと言ったからにはフェアに約束を果たしたかった。が、タバコはソ連製の物ばかりだ(それでも外国人向けの銘柄らしく、紙箱入りのちょっと高級そうな物で、街角のスタンドでは見かけなかったような気がする)。
 公園に戻ってアメリカタバコは無かったと言うと、さっきのしつこさが嘘のようにあっさりと引き下がった。ふと考えたら、彼こそ今回の旅での僕の英会話の教師だったのかも知れない。ヤミ両替にのるのは嫌だが、もう少し気の利いた接し方をしてやれば良かったような気もした。

歩いていて酒屋は見つからなかったのに
いったいこの看板は何だ!?
サボってるんじゃないぜ
休憩してんだよ、休憩

 ルーダもやって来て、いよいよホテルの夕食は最後の晩餐、というより最後の晩酌になだれこむ。シャンパンの栓が抜かれ、ビールが抜かれ、どこからかウォトカやウィスキーも湧いてくる。例のバンド演奏も始まって、ここには明日の飛行機に乗る日本人が集結しているので、もちろんオープニングは『恋の季節』だ。いや、それより早く我々のテーブルじゃ、近々誕生日の人が居るからとハッピーバースデーの大合唱だ。このとき、僕のポケットにはハーモニカが入っていた。旅の中盤から「ドラえもんのポケット」と呼ばれるようになっていたが、まったく自分でも呆れるほどヘンな時にヘンな物が出てくる。で、ハーモニカなんぞ吹けもしないのに伴奏をつけるというのはすでに酔い始まった証拠だ。
 ワタクシだって調子に乗って酒を飲んだ後のタタリがどうなるかは充分承知している。だから量的には自重したのだが、気持ちがハッピーになるのは抑えられない。そろそろ旅の疲れが出てきたのかな。とうとうフロア中央に出ていってロシア人と一緒に踊り始めた。もっとも、この件では柴野の姉御が圧倒的にノリまくり、そのフィーバーぶりにはさしもの酔狂なUNOツアー御一行もたじたじとなったのであった。
 しかし、ロシアはオバちゃんといえどもあなどれない。アップテンポの曲にもきっちりノッていて、あんたもなかなかやるじゃないという目で僕に微笑みかけるのだ。曲が終わってやれやれよれよれとテーブルに戻るとまた次の曲が始まる。さあ行くわよと姉御に引っ張られてまたまたフロア中央へ。どこかの団体にいた日本人のオバちゃんから「ほかにもお客サンがいるんですから」とたしなめられた頃から記憶が断片的になってきた。
 そのあと地下の外貨バーに河岸を変えてさらにぎゃーすかやってしまったわけだが、閉店間際(ということは午前2時近くだ)の店内を見渡すと客は我々ぐらいしかいなかった。旅をしている間ずっと、僕はこのツアーの中で浮いた存在だなという気がしていたのだが、このグループ自体が、この時期シベリアに来ている多くの日本人観光客の中で浮いた存在だったんだ。こうして『おろしあ国酔狂譚』を綴れたのも皆サンのお陰だ。そう気がついたときはもう旅の終わり、旅で出会った人の思い出はいつもそうだ。

 酒を飲まない前田サン(この人も、いい意味でクセのある人だった)は早々と部屋で寝ていたので、遅くなってスミマセンと小声で言い、ポケットから出した懐中電灯を口にくわえて服を脱ぐ。シャワーにしろバスにしろ、こんな夜中に水音を立てるほど非常識ではないし、それにだいいち昨夜のココア色を思い出したら、このまま寝てしまおうという気になってしまった。
 おやすみハバロフスク、明日はお別れだね。