銀行に駆けつける


インツーリストのオフィスだそうだ
煉瓦と雨樋の装飾が気に入った
 昼食を終えて、ホテル内の両替所に行くと例によって誰もいない。再両替できなくてもいいや、いよいよルーブルが余ったら缶ヅメでも買って使い切ってしまうからとサービスカウンターで両替を頼むと「ニエート」だ。おかしいじゃないか、先週はちゃんとやってくれたぜ。しかしカウンターのおネエさんは首を振りながら何やら言う。アエロポートという言葉だけが聞き取れた。冗談じゃない、空港まで行ってられるか。
 まだレストランにマル添とルーダが残っていたので「まいったよ、空港まで行かないと両替ができないらしい」と言うと、素早くルーダが立ち上がり、カウンターのおネエさんに掛け合ってくれた。ルーダはかなり強い口調で何やら言っていたが、考えたらルーダもこのおネエさんもインツーリストの職員になるんじゃないかな。だとしたら同僚ってわけだ。だからルーダだって「駄目なものは駄目なのだ」と僕をなだめる役どころを演じようとすればできるのだが、とにかく自分の客を守ろうとする態度は嬉しかった。が、やっぱり駄目らしい。

「ルーダ、街の中にも銀行はあるんだろう?」
 彼女はどこかに電話をかけて何かを確かめ、カウンターに置いてある市内のガイドマップを僕の前に広げた。
「ホテルを出た先にバス停があるから、そこからトロリーに乗ってレーニン広場まで行ってください。本屋の角を入って次の角を左に曲がると、赤い小さな建物があります。そこが銀行です」
「判った。赤くて小さな建物だね」
「そうです。4時まで窓口が開いています」
 時計を見ると今は3時だ。
「あと1時間です。急いでください」
「ありがとう、さっそく行ってくるよ」
「トロリーは5カペイカですよ」
「大丈夫、それくらいは持ってるさ」

 地図を貰ってホテルを出ようとすると、ベリョースカで別れた例の若い男が「銀行があるんですか」と寄ってきた。彼はさっきロビーで顔を合わせたときにレコードを10数枚買ってきたと言っていたが、どうやら彼もルーブルを切らしたか。「いや、ヤミで替えたルーブルがだぶついているんで、円にならないかと思って・・・」と妙なことを言う。外貨への両替は出国する空港で、正規の両替をした証明書をつけて、というのが原則のはずだが。まあ、こちらも急いでいたので聞き違ったかも知れないが。一応彼にも銀行の場所を教えて外に出た。


 1時間もあれば銀行まで歩いても間に合うと思ったが、ちょうどいい機会だ、トロリーに乗って行こう。バス停に行くと、ちょうど1台停まっていた。
 車内に入ると、とても車掌には見えないごく普通の婦人が何か言って手を出したので、5K分の小銭を渡すとそれを数えて料金箱に入れ、横についたダイヤルを回して切符を一枚出してちぎってくれた。外国人が乗ってきたので乗り方が判らないと思って手を貸してくれたのだろう、親切な人だ。ひょっとすると、無賃乗車を警戒したのかも知れないな。
 トロリーバスはマルクス通りを走って行く。途中で乗り降りしている乗客を見ていると、料金は乗るときとか降りるときという慌ただしいときではなく、走行中の車内が落ち着いたときに箱に入れてゆく人が多い。均一料金だからできるわけだが、このシステムはいいと思う。だってほら、たまにいるだろ、バスが停まってドアが開いてからガマ口を出すオバさんが。ゆっくり金を数えるものだから、いつまでもバスは停まって、後ろじゃクルマが数珠つなぎってのがさ。だから日本でも採用してくれと言いたいが、過保護の我が国じゃ走行中の車内では動かないでくれっていうもんな。それに第一、混んでいる時には料金箱に近寄れないから踏み倒す奴がぞろぞろ出てくるに違いない。しかしそれはマナーの問題で、僕より先にひとりでトロリーに乗った前田サンの話では、小銭の持ち合わせのない人は乗客の中から金を集めて2人分3人分とまとまった額にしてから払っていたそうだ。
 そうこう言っているうちにレーニン広場に着いた。前田サンも言っていたが、トロリーの安心な点は路面電車と同じで架線から逃げられないということ。運転手の肩越しに前を見ていればどこへ行くかがよく判り、おかしな道に入り込んで行くということがない。

 ルーダに教えられて来た銀行は、なるほど確かに小さい。田舎の郵便局といった大きさだ。だが、そこはそれ、煉瓦造りのがっしりとした建物だった。ルーダは4時までと言っていたが、5時までと書かれた札の掛かっているドアを開けて中に入る。小さなロビーの奥にガラスで仕切られた机がひとつ。ただし無人だ。その隣で所在なげに座っていた守衛のジイさんに「両替をしてほしいのですが」と、言えるわけがないのでロシア語でそう書かれた会話集のページを指で示そうとしたら、「判ってる。今、係を呼んでくるから」と奥へ入っていった。まあ、外国人が預金しに来るわけがないので、用件は両替かホールド・アップしかないが。
 やがて奥から現金の入った袋を持って現れた美人の銀行員は、僕から金と税関申告書(これにハンコをもらっておかなくては空港で再両替できない)を受け取ると無言のまま事務的に作業を進行し、それでも小さい額面の紙幣を混ぜてくれたのは気が利いていた。
 4,000円が18.46ルーブルになった(レートが悪いようだが、手数料に50K取られたとするならだいたい計算は合う)・・・などと手帳に書き込んだりしてまごまごしている僕に「気をつけてね、さようなら」と声をかけて彼女は奥に戻って行った。ちょっと無愛想な人だと思っていたけど、いい人だったんだな。無言でいたこちらの方がよっぽど無愛想だった。しかしもう彼女は奥に消えてしまっていたので、守衛のジイさんに「スパシーバ」と行って銀行を出た。
 表通りに出ると例の彼が銀行を探してうろうろしていたので、そこを左に入れと声をかけると「ありがとう、助かりました」と言ってそそくさと路地を入って行った。ベリョースカでも同じセリフを言って駆け出していったことに気がついて、少し可笑しかった。