ビートルズはソ連に限る


朝食前の散歩はアムール河畔を
 朝食後ルーダが日本語の出来るガイドを連れてきてくれて、彼(サーシャ・・・女性名だと思っていたけど)がホテルの隣にある博物館をガイドしてくれた。なるほど、なかなか言葉は達者で日本語で冗談も言えるほどだったが、ちょっと言葉に詰まると「そうですねそうですね」と次の言葉を探し、その言い方がいかにもガイド風で耳に障った。
 博物館の外にアムール川を見下ろす展望台があり、長老がカメラを出して写していいかと尋ねると「いいですよいいですよ、ペレストロイカですから」と軽薄な声で言う。この一週間、つまらぬ先入観から気負って日本を出てきた僕が拍子抜けするほど気軽に観光してこられたのだが、ついにこのセリフを聞いた。
 このあとはホテルでの昼食をはさんでのフリータイム。希望者は午後、アムール川の遊覧船というのがあったが、僕は申し込まなかった。よそから来た観光客でいっぱいの船に乗るよりは、少しでも長くこの街の人や建物に会っていたい・・・まあ、乗船料の1,500円(円で払うのだ・・・外貨ぼったくり政策め)が惜しかったという噂もあるにはあるが。

 ハバロフスクの街を歩き、まずは本屋に入ってみる。もちろん僕はロシア語は読めないが、絵本なら自分で勝手にストーリーを想像あるいは創造できるので、買っていっても面白いだろうな。ソ連は子どもを大切にする国だとは聞いていたが、この気持ちがあっても物資が追いつかないのか、豪華な絵本というのはなく、ペラペラの冊子のような物ばかりだ(日本でキリスト教の一宗派がPR用に配っているパンフレットを連想した)。その代わり値段は安い。手に取ってみたが10K、20円だ。よし、まとめ買いして帰って土産に配ろう。ロシア文字が書いてあるから、いかにもソ連土産に見えて、それでいてひとり頭20円だ。平積みの中から同じ本を8冊取りだして売場のオバちゃんに渡すと、レジで金を払ってこいというように指さし(あ、そうだった)、レジ係に向かって「80カペイカだよ」とワメいた。おかげで支払いが楽だった。でないとまたメモ用紙に「80」と書いて金を渡さなければならなかったから。
日本からわずか2時間で
ヨーロッパの街並み
 イルクーツクのトイレプレート以来、欲しい物を見つけたらメモに金額を書いてレジに並ぶという方法をとっていたのだが、僕が大きく判りやすく書いたつもりでも、レジ係は読みにくそうな顔をするのだ。僕は活字の字体で書いているのだが、彼女たちの手書きの数字は癖があって、僕にとってはむしろこちらの方が読みにくいと思えたのに。
 まだ5月だというのに、もう来年のカレンダーが売られていた。ソ連のカレンダーは日付が縦に並べて書かれているのが珍しかった。今ここで買うと、持ち歩くのに邪魔だからと思っていたら、結局買い忘れてしまった。残念。


 ガイドブックに『中央デパート』と書かれていた店に入る。なかなかの賑わいだ。こういう店に入ると、目下のソビエト庶民におけるトレンドというのが判るのだろうが、たいていの物は品種やデザインが限られていて、「どれにしようか」というよりも先に「買うか買わないか」が選択の条件になってくる。カメラなんかはデザインのセンスが20年くらい遅れている感じだ。懐かしいなあと思ったのが8ミリ映写機で、どうやらソ連ではまだビデオよりも壁に映画を映すことの方が一般的らしく、既成のソフトも売っていた。
 好きだから楽器やレコード売場も覗いてみた。ソ連だから当然バラライカがあったけど、いくら僕が弦楽器好きだといってもバラライカを買って帰るような馬鹿かいなという真似はしなかった。家に帰ると弾きこなせない楽器がいくつも転がっているのだから。ここで人気のあるのはやっぱりロックだ。ドラムセットがデンと置かれた脇に赤や青の電球が点滅する装置があったが、これを嬉しそうに買いに来ている兄チャンがいて、彼の前で売場のおネエちゃんは極めて事務的に奥の棚から箱に入った新しいものを出してきて、ちゃんと点滅するかコードを繋いでテストしていた。
 レコード売場でも同様にロックが中心になる。ロシア民謡はないのかというのは無責任な旅行者のわがままで、家の近所のレコード屋で日本民謡がどういう境遇に置かれているかを見れば、そんなことは言えなくなるはずだ。カウンターの後ろにおネエちゃんがいて、その後ろにレコードの並んだ棚があるというのが基本構造で、「ちょっとそれ見せて」とロシア語で言えない僕にとって、どれが面白そうなのか勘で選ぶしかないというのが難点だったが、そんな僕でも「あっ、これはこれは」というレコードがあった。なんとビートルズの『ア・ハード・デイズ・ナイト』があるではないか。もちろんソ連のレコード会社がプレスしているので、ジャケットにはロシア語も併記してある。こりゃあ面白い。
 で、それはひとまず置いといて、棚の端の方はおネエちゃんのガードが及ばずに自由に手に取ってみられたし、カウンターの上には「当店のお奨め、赤丸上昇中」みたいなレコードのジャケットだけ(万引き防止対策か?)が10数枚置かれていたので、純国産のものを選ぶことにする。値段はLPでポピュラーミュージックが2R50K、クラシックが6Rだった。
 見本ジャケットを手に持って、おネエちゃんに「これをくれ」という顔をすると、棚の前に積まれた(いくら売れ筋商品だからって、レコードを平積みするなよ。反っちゃうだろ)中から1枚取ってくれたので、併せて「ビートルズ」と言うと、幸いにもこれは言葉で通じた・・・通じなかったらどうしようかと思ったんだ。ロシア語で「カブトムシ」なんて知らないしなあ。
 同じポピュラーでもビートルズは少し値段が高くて4Rだった・・・おっと、またしてもルーブルを切らしてしまった。
 当然のことながら何の包装もなく渡されるので、むきだしのまま持って歩いていたら若い男から声をかけられた。
「この街でしか買えないポール・マッカートニーがあるんだけど、欲しくないか?」


 ルーブルを切らしたので、日本円が使えるベリョースカに行ってみることにした。「20円の絵本」のユーモアが通じない相手がいても困るので、いかにも土産っぽい土産もいくつか買っておくとするか。
 ドアを開けると、やっぱりという感じで前田サンがいた。自分じゃ飲めないくせにウォトカ(考えてみたら、街の中で一般の酒屋というものを見かけなかった。が、ここにはウォトカが各種取り揃えられていて市価より安い。市民が闇ドルを欲しがるわけだ。ロシア人が入って来ないホテルや駅のベリョースカはともかく、この街並みの中の店は外から覗き込まれないようにブラインドを下ろしていた)をじっと見ている。前田サンのほかには昨日ブラーツクから一緒だった若い男がいた。彼にビートルズのレコードを買ったよと言うと「どこにありましたか? ポール・マッカートニーもありましたか?」と目の色を変える。場所を教えてやったら「ありがとう助かりました」とあわてて出ていった。
 いくつか品物を選んで売り子のおネエさんに差し出すと「オ金ハ、アチラデオ願イシマス」とレジを指さす。そうだ、ここもソ連だったんだ。で、金を払うとお釣り用の小銭が足りなかったらしく(ベリョースカは釣り銭にもルーブルは使えない)、10円玉に似た見たことのない硬貨を2個混ぜてくれた。よく見るとこれがオーストラリアの2セント玉で、オーストラリアドルと日本円の交換レートが判らないので儲かったのか誤魔化されたのかよく判らない。コインの中でエリマキトカゲが嘲るように笑っていた。夕方もう一度ここで買い物をしたときは、釣り銭に4円くれるべきところを、1円玉が足りなくて5円くれた。
 支払いを済まし、売場に戻って出納係に発行していただいた代金受領証を販売係に提出する。すると彼女は「別々ニ包ミマスカ?」と尋ねてきた。うーん、良くも悪くも日本は大国だ。市内の店じゃ「ほれ、持ってけ」という感じで商品を渡しているのが、こうやって片言の日本語を使ってひとつひとつ包装してくれる。さぞかしこれまで多くの日本人が「これは隣の誰サンに、これは会社の誰サンに」とまとめ買いをしていったんだろうなあ。まあ、実際に手つきを見ていると、包むというよりはくるむという感じであったが。
 ホテルの部屋に戻ってよく考えたら、中身は違うが外見は同じような包みがいくつもできてしまっていて、これではあとで配るときに困るということに気がついた。紙の端を押さえていたテープの糊が弱くて取れてきたこともあって、包装を全部取ってしまって中身と包装紙を別々にして持ち帰ることにした。ちなみに、銀座に『白樺』というベリョースカの姉妹店があって、僕はまだそこで買い物をしたことはないが、ソ連と同じ包装紙を使ってくれるそうだ。


 ふと思い出して枕を持ち上げてみた。ベッドメイキングをしてくれるメイドにチップ代わりにパンストを置いていたのだが、手つかずだった。これはイルクーツクでもそうだったけど、チップの習慣が無く、客の金品に手を出す不心得者がいなければこうなるのは当然なのだろう。ソ連では手渡さなければ駄目だ。あとでマル添がそう教えてくれた。
 翌朝ホテルを出る際に、隣の部屋を掃除していたので、声をかけ、部屋を綺麗にしてくれてありがとうと(半分身振りで)言って手渡したところ、すごく喜んでくれた。