シベリア漂流


 イルクーツクの滞在を終えてハバロフスクに戻ることになるのだが、このあたりから行程がスリリングになってくる。出発前に旅行社からもらった行程表では機中泊となっていたが、イルクーツクの出発は朝だという。いくら列車で3日かかったとはいえ、飛行機なら3時間強で飛べるはずだ。ヘンだと思ったら直行便が予約できなかったのでブラーツクまで行って、そこでハバロフスク行きに乗り換えるのだという。イルクーツクからの飛行機は11時半だが、ブラーツクで何時の飛行機に乗れるかよく判らないという。うまくいけばハバロフスクでホテルのベッドにありつけるが、最悪の場合はやっぱり機中泊となりかねない。すべては神ならぬ当局の思し召し次第だ。しかしまあ、これくらいスリルがないと旅をした気にならない。命取られるわけじゃなし、機内持ち込みのデイパックに本やケン玉を放り込んで、さあ出発。
アエロのPR冊子に載っていた飛行機
我々が乗ったのは、これよりは大きかった
 空港で手荷物検査の段になって、うっかりナイフをベルトに着けたままだったことに気づき、あわててデイパックの奥底にしまい込んだのだが、これは無事にパス。だが、金属探知機のアーチでブザー。小銭は別にしておいた方がいいと注意を受けていたのだが、こっちはご丁寧に小銭入れのひもの先にカラビナを着けてベルトループからぶら下げていたのだ。それにジュラルミン製のポケットライトやZIPPOもポケットに入れているわけで、これでは鳴らないほうがおかしい。ツアーの仲間たちは皆、やっぱりあいつがひっかかったかという顔で笑っている。アエロフロートの職員がもう一度やれというような顔をしたので金っ気の物をポケットから出して再挑戦・・・今度は無事通過。どんなもんだいとアエロおばばを見返してやったら、あのババァ、初めからこっちを全然見てやしない。手荷物検査に夢中で、ブザーが鳴ったときしかこちらを見ないのだ。
 待合室で本をひろげる。列車の中で読むつもりで持って来ていながら全然読めなかった『おろしや国酔夢譚』が、この日はじっくり読めそうだ。

 どれくらい時間が経ったのか。マル添が我々を呼び集める。少し遅れて行ったので説明の頭のところを聞き漏らしたが、どうやら予定した飛行機でのフライトができそうになくなったので、半数ずつ二た手に分かれて飛ぶことにしたらしい。
「・・・勝手ながら、人選はこちらで決めさせてもらいます」
 普段は我々とバカをやっているが、さすがにこういう修羅場ドタン場ではテキパキとしている。だが、次の言葉が凄かった。
「わたなべサン、英語できますよね。ルーダと一緒に先発で行ってください」
 英語ができるっていっても、中学1年生の2学期程度だぞ!?

 主翼を胴の上に載せた、ちょうどかつてのフレンドシップを大きくしたようなAH(アントノフ)-246型機はなかなかくたびれた飛行機で、エンジンが回り出すと機内に油の匂いが充満した。やがて弾かれたようにかなりの勢いでエプロンから飛びだす右へ左へと飛行場の中を駆けずり回って12時01分、イルクーツク離陸。
 機内を観察すると、通路を挟んで左右の座席間のピッチが微妙に異なっていることに気がついた。最前列と最後列はキチンと並んでいるのに、右12列左13列になっていて、ちょうど50人乗りということになる。座席も薄汚れているし、油臭いのは相変わらずだ。古い列車やバスで床が油を染み込ませた板張りになっているものがあるけれど、まさにローカル線か田舎のオンボロバスに乗っているようなものだ。
 エンジン音そのものは静かだが、機体が振動を増幅してうるさいのなんの。そこへもってウシガエルが鳴くようにブォーンブォーンと周期的に音と振動が大きくなるものだから、座席はモロにバイブレーター。僕は首筋や肩の凝ったところを椅子に押し着けるようにして過ごすことにした。13時24分、軍の戦闘機がズラッと並ぶブラーツク空港着。

 アエロだかインツーリストだかの職員と話をしてきたルーダによると、この空港には2階にバー(ティールーム程度に解釈してください)はあるが、レストランはないそうだ。空港の外で食事ができるように交渉するにしても。30分後の別便28号でやってくるマル添たちを待ってからのほうがいいだろう。ふと冷静になってみれば先発隊のメンバーはアクの強いのが揃っていて、こりゃあ見捨ててもいいのばかりを揃えましたな、などと冗談を言っているうちに待合室の外がざわつき(待合室は窓がなく、外の様子が判らなかった)、予定通り別便28号も到着。なんだ、同じところに着いちゃったのかと軽口を叩いたが、後発隊にはロシア語使いが一人もいなかったのだから、さぞ不安だったに違いない。

暇つぶしグッズ「ケン玉」
ルーダもチャレンジしてみた
 『おろしや国酔夢譚』の日本人漂流民たちは、帰国嘆願のためにオホーツクからヤクーツク、ヤクーツクからイルクーツクへとやって来て、それでも埒があかないとなると、もうメシクーツクでもソバクーツク行ってやると開き直ってしまうのだが、我々もハバロフスク経由で日本に帰ろうというのにイルクーツクからさらに北西にあるブラーツクまで来てしまった。ブラーツクといっても外をぶらつくわけにもいかず、外人用待合室で軟禁状態にあるわけで、こうなると我々だって開き直ってしまう。こんなにのんびりできるパック旅行はそうあるもんじゃない、居眠りをしたり本を読んだり、UNOに興じる一派は相変わらずここでもカードを配り始めるし、光太夫たちには遙かに及ばないにしても、このヤポンスキーの漂流者<ドリフターズ>たちもまたなかなかにしたたかなのであった。
 そうだ、マル添の機転も賞賛しておかなくてはならない。軟禁状態に陥るやいなや、バーにあるコーヒーやパンを確保したことに加えて、2時間近く離れたところにある市街地のホテルから仕出し弁当をインツーリストのバスで運ばせるように手を打ったのである・・・この仕出し弁当には例の瓶入りジュースが付いてきたが、当局は栓抜きを用意しなかったので僕のアーミーナイフが役に立った。ついでに言うと、トイレの電気が点かずに真っ暗だったので、ポケットライトも役に立ったのであった。機内持ち込みにしておいて良かった。
 ただ、せっかくのマル添機転の仕出し弁当も、到着が6時頃と遅くなってしまったので、ロクに食べないうちにフライトの時間になってしまった(このピクニックランチと呼びたくなるような弁当は、ボール紙を手提げ袋状にした中にパンや卵などが結構な量で詰め込まれており、食べ終わっていたのは僕だけだった)。  ここからもまた二た手に分かれて、しかも今度は2人と16人という組み合わせになるところだったのだが、何とか後の便に全員まとまって乗ることができた。2人で飛ぶことになっていたら、交渉役のルーダが先発なのはもちろんとして、もう一人は誰になったのだろう・・・全員一緒で良かった良かった。と思いきや、機内に乗り込むとスチュワーデスのオバさんが何やらワメき、周囲のソ連人がサッと手を挙げた。その様子が「ちゃんと切符を持っている人は手を挙げて」と言っているように見えたのだが、どうやら本当にオーバーブッキングだったらしい。ソ連の飛行機は外国人を優先するので、我々のワリを食った人がいるのかも知れない。飛行機には吊革がないので、やはりあぶれた人は降ろされて次の便を待つことになるのだろう。

 ハバロフスク行きの飛行機はすでに馴染みのTU(ツポルフ)-154、今度は窓際の席だったので外を見たら主翼の近くだった。付け根付近から点線と矢印がペイントされていて、道筋を目で追うと非常出口を出た後、フラップなどにぶつからずに地上に向かう道順を示しているのだと判った。なかなか行き届いた配慮だと感心したが、なるべくならこの通路は使いたくない。それとも、使用頻度が多いので表示をしているのだろうか。
 まだエプロンでうろうろしているうち(夕方のラッシュというわけでもなかろうが、2、3分おきに着陸してくる機があるため、出発できないのだ)に、日本ならここでオシボリなんかが出てくるところなのだが、さっきのオバさんスチュワーデスがカードウォッチ型の液晶ゲームを持ってやって来た。隣に座ったルーダに説明を求めると、1時間1ルーブルで貸しているのだという。う〜む、なかなかやるではないか。そして、しばらく飛んだ後の話であるが、今度はワゴンに子供のオモチャやら日用雑貨やらを載せて機内販売。配られた機内食も台所にあったあり合わせの物をラップに包んで持って来たという風情で、シベリアの中距離航空路線(といっても3000km以上あるわけだが)は、なにやら日本のローカル急行列車を思わせるような生活臭を漂わせて飛ぶのであった。
 目の下は一面の雲。3日間見続けた景色の上を呆気なく飛んでしまうのを見ずに済むと思っていたら、お節介にも晴れてきた。しかしどうやらずっと北を飛んでいるようだ。雪に覆われ、白く輝く山が連なっている。
「あれは何という山ですか?」
 誰かが尋ねるのを、ルーダに代わって中央シベリア山脈だと答えると(もちろん口からでまかせ)、ルーダもそれが判りやすくていいと笑っていた。
 ブラーツクを離陸したのが19時03分で、ハバロフスク着が21時43分、と言いたいが時差があるので23時43分だ。飛行機を降り、空港ビルに入ると日付が変わった。

 5日ぶりのハバロフスク。だいぶソ連に慣れた僕は、バスを待つ間にトイレの写真を撮った。さすがに他人がいないのを確認し、そしてもちろんフラッシュは使わなかったが。
 無理矢理開店させたようなバーでアイスクリームを食べてバスを待ち、ホテルへ。車内には我々一行のほかに、ブラーツクで後から待合室に入ってきた若い日本人の二人組がいた。彼らは日ソ旅行社のツアーに往復の飛行機だけ入れてもらって、途中は個人旅行をしていたとのこと。空港からホテルまでタクシーを予約してあったらしいのだが、きっと夜も遅いし、どうせ同じホテルに行くのだからとバスに乗せられてしまったのだろう。
 初めて来たときはいい街だと思ったのだが、やはりイルクーツクを見てきたあとでは少々落ちるな。ゴミッぽい・・・突然バスがエンスト。おいおい、機中泊は免れたのに車中泊かよ。
 ようやくホテルにたどり着く。深夜のことでポーターもいないから皆でどんどん荷物を降ろす。両手にスーツケースを提げたビデオ中川が見事にすっ転び、ドアマンのじいさんにおおいにウケる。このホテルの玄関前はつまづきやすいので初日から要注意だったのだ。しかし、あのじいさんも孫にいい土産話ができただろう、君は日ソ親善に貢献したのだと言って彼女を慰める。
 まだまだバカを言うだけの余力があるので安心した。割り当てられた部屋はバスタブ付き、しかも栓付き。この部屋は二た晩使うのでこれはありがたいと蛇口をひねると、透明度ゼロ、ココアのような茶色いお湯が出た。しかし、もうこれぐらいでは動じないのだ。これはこういう入浴剤だ肌に良いのだと思って入ってしまう。ほとんど匂いがないので日本の怪しげな温泉に入るよりずっとマシだ。栓を抜いてお湯を流すとバスタブ一面が茶色くなっていた。やっぱりこれはココアだよなあ。

 閉店間際の外貨バーで買ってきたビールを飲みながら、しみじみとこの日のシベリア漂流を振り返ったのであった。

 (この章、写真が少ないけど、一日の大半を撮影禁止の場所で過ごしていたのだから仕方ないよな)