夜霧の渡し船


アンガラ河畔の公園は
昼間は子供連れ・・・
・・・夕方はアベックでいっぱいだった
 夕食時、ホテルのレストランで顔を揃えてそれぞれの町歩きを報告しあう。南田クンは、チケットは買ったものの映画館は入れ替え制で、待っていると夕食時間にかかるために見ずにきたという。
「でも、このチケットがいい記念になりますよ」
 お坊っちゃまの大冒険はすごかった。ホテル近くの船着き場から渡し船に乗って対岸まで行って来たというのだ。
「10Kでした。僕は橋を探して歩いて帰ってきたのでずいぶん時間がかかりましたが、渡し船なんだから20Kで往復できるんじゃないですか」
通勤電車ならぬ通勤船
仕事帰りのひとときを傾く日の中で読書
 これはいい、遊覧船代わりにあとで乗ってみようという声がメンバーの中から次々と出た。僕も乗ってみようとは思ったものの、この場では態度を表明せず、とりあえず一人で河畔をうろうろして、みんなが集まってきたときの雰囲気で決めようと日和ることにした。いまだに夜汽車の窓に映る自分の顔に語りかけるような旅に憧れてしまう僕としては、夕暮れ時は他人から干渉されたくない時間帯なのだ。

 インツーリストホテルの前、アンガラ川に沿ってガガーリン並木通りと呼ばれる道があり、その並木と川の間は、僕が勝手にアンガラ河畔公園と呼んでいたプロムナードになっていた。ここで思い思いに夕暮れのひとときを過ごす人たちを、カメラを持って見ているという無粋なことをしていると、結局自分は旅行者なんだ、よそ者なんだという疎外感が襲ってくる。旅先の街で、この時間になるといつも味わう気分だが、僕にとってはこれが何より旅をしているという実感の一つでもある。疎外感を味わうということは、とりもなおさず目の前の情景に懐かしさや安らぎを覚えているからで、ふと声を掛けられて振り向くと、幼なじみのあの子が立っているような気がしてくる・・・。
「Yah!」
 振り向くと、あの子ではなくモリソン夫妻が立っていた。ちょうどいい、前の晩ロシア号がこの街に着いた時に言いたかったジョークがある。あの時は下車のドサクサで言いそびれてしまったのだった。
「やあ、モリソン。ここはあんたの国だ、シドニーだ」
 奥サンが意味を察して笑いだす。この少し上流の川面に張り出した建物が列車の窓からもよく見えていて、それがシドニーのオペラハウスにそっくりだったのだ。モリソン夫妻とはバイカル湖でも顔を合わせていたが、このジョークはオペラハウスもどきが見えるこの場所で言わなくては意味がない。
 ジョークで笑って気分が少しプラスに転じたところに怪しいUNOツアーの一行がやって来た。わたなべサンここにいたんですか、捜したんですよと恨みがましい声でいいながら船着き場へ降りて行く。すまんすまん。それでも「わたなべサンも乗ろうよ」と明るく誘ってくれたので、ようやくこちらも夕暮れ時のメロウな気分から抜け出せた。

「私たちは日本人です。怪しいものではありません」
「本当かな」
 船着き場に行ってみると経路図があって、それによると正面の対岸だけではなく、少し上流にも行くようだった。時間も遅いし、行ったきりになると困るなと思ったら河野サンが「最終便はこの桟橋に戻って来て夜を明かす」と断言し、マル添も切符売りのバアちゃんと手振りで「ちゃんと戻ってくる」ことを確認した。
 しばらくしてやって来た船に乗り込む。物見高い我々はどやどやと前部デッキに行ったのだが、後から乗ってきた地元の人たちは慣れている。夜風が冷たいのを知っているとみえて下の客室に行き(きっと本当は怪しい日本人を警戒したのだ)、我々と同じデッキにいたのは労働者風の若いヒゲ青年とアベックだけだった。
 日が落ちて夕闇が漂い始めたアンガラ川に船は出る。誰かが「前田サンから貰った」と言ってパンを配り始める。日ソ友好、日露親善と言いながら乗り合わせた3人にもプレゼント。ヒゲ青年は少し英語を解したので三婆やマル添がいろいろ話しかけたり通訳をしてもらったりした。記念写真を撮るからみんな並べ、あっ、あんたもついでに入って入ってなどと騒いでいるうちに対岸に着く。ここで下船したヒゲ青年は土手を登って行きながら、いつまでも手を振ってくれた。
 対岸に2個所ある船着き場ではもう誰も乗ってこなかったので、船に残ったのは我々一行と例のアベック・・・そうかそうか、遊覧船代わりに利用するのは何も我々ばかりじゃないんだ。いやあ、せっかくのデートを邪魔して悪かった。
 アンガラ川を往復して20K、ガイドブックにも載っていなかったこの渡し船は、お坊っちゃまの大発見であった。

 なお、表題は『夜霧の・・・』となっているけど、これは単なる言葉のあやで、実際はいい天気だったのだ。