バイカル湖ではやっぱりバカになる


春の息吹が感じられる 再びここに来られますように

 シベリア鉄道の旅を北海道の旅に見立てていたら、バイカル湖への道のりは、何だか美幌から屈斜路湖への道を思わせた。バスは起伏の多い、林の中の道を走って行く。美幌峠でいったんバスが停まる。目の下に輝くのは屈斜路湖、と言いたいが、実際に広がっている水は屈斜路湖でもバイカル湖でもなくて、まだアンガラ川だという。
「この上に駅があって、トイレが使えるそうです」
 とても信じられないマル添の言葉に小径を歩くと、丘の中腹をぐるっと回ってバスのところに戻って来た。
「ただ、眺めの良い遊歩道があるだけだったよ」
「私もヘンだと思ったから、ガイドに3回も聞き直したんですよ・・・トイレというのは、林の中で用を足せということみたい」
 ここは駅ではないが、眺めの良い展望台ということには間違いない。きっとガイドは「観光バスが立ち寄る場所」という意味で駅という言葉を使ったに違いない。また、トイレの件に関して『地球の歩き方』によると、「ガソリン・スタンドでもトイレは貸してくれない。何故ならガソリン・スタンドはガソリンを供給する場所と規則で決まっているからだ。そこで、観光バスが道路に止まって、乗客がぞろぞろ森の中へ入って行く光景が時折見られる。その際、女性は右側に、男性は道を横断して左側の森に入るのが礼儀である」ということだそうだ。
 あたりの木々の枝に、ちょうど神社のおみくじのようにびっしりとハンカチの切れっぱしで作ったリボンが結び付けられて風に揺れていた。きっと、旅の安全と、再びここを訪れることを願う旅人の祈りなのだろう。さらにしばらくバスは走り、バイカル湖に達した。
正面水中の小岩がバイカル湖とアンガラ川の境界になる リストビアンカの船着き場。氷が流れ着いた
厳寒の地に住む人々の思いが
窓に集約されているようだ
ようやく春が来たんだね
 バイカルホテルに寄って、今度はちゃんとしたトイレ(でもなかったな。電気がつかずに中は真っ暗。フラッシュを焚いて写真を撮ったのだが、日本に帰って現像してようやくトイレの様子が判ったほどだ)を使って休憩したのち、リストビアンカの集落を抜けて、その先の小さな港へ。ここは定番コースのバス停らしく、外人客の乗ったバスが、すでに2台ほど着いていた。
 シベリア鉄道とバイカル湖がこの旅の目玉であったが、こうやって来てみると、あまりの大きさに湖という気がしない。「シベリアの真珠」と呼ばれるそうだが、いったい誰が見立てたんだ。この大きさは日本人的情感を超えている。真珠と呼ぶには摩周湖くらいが手頃ではなかろうか。
 というわけで、僕の目はちょうど授業が終わって近くの小学校から出てきた子供たちと、あたりの民家に向けられる。
 シベリア民家には丸太作りの建物と下見板張りのとがあったが、どちらも積年の風雪に耐えてきて、くたびれながらもどっしりとした風格を漂わせていた。何より美しいのは窓。正確に言うなら雨戸とでも呼ぼうか、ガラス戸の上にもう一枚着いた板戸で、これが様々な意匠を施され、ペンキを塗られているのがバタンと開け放たれて並んでいる様子は、トランプの背を見ているようだ。ようやく訪れた春への悦びがこの窓に表れている。
 窓に塗られたペンキは青や緑が多く、ロシア人にとって青は希望、緑は人生を表す色だそうだ。この厳寒の地で暮らす人々の、様々な想いや願いがすべてこの窓に集約されているわけで、そう思うと胸が熱くなった。
 そんな「狭いけれども楽しい我が家」で暮らす人たちの心のよりどころとなる教会を見学して、バスは再びバイカルホテルへ。名物のオームリという魚の唐揚げ(一口サイズにぶつ切りにして揚げたのを大皿にどんと盛った大雑把なものだったが)は、とても旨かった。付け加えておくと、このレストランの壁画は、付近の昔の住民が漁をしているところをデザインしたもので、なかなか楽しい絵だった。そして、その絵をバックにワゴンを押して歩き回るウエイトレスの肌の白かったこと・・・。
バイカルホテルのレストラン
透けるように肌の白いウエイトレスが・・・
・・・という話ではなく
壁画が面白いと言いたかったのだ
これぞ
おろしや国酔狂譚
 バイカル湖でやってみたいことの一つに、凧揚げというのがあった。去年、R.E.I.の通信販売でパラセールを小さくしたような形のものを買って、僕はこれを持ち歩いては新潟の海岸や信州の湯の丸高原で凧揚げをしているというヘンな趣味を持っていたのだ。だが、この凧は少々かさばるので(それでもコートのポケットに入る大きさだが)、今回の旅では「ポリ袋使用、5分で作れてよく揚がる」というやつを用意して、昨夜ホテルで組み立てておいたのだ。
 とりあえずバイカルホテルにトイレ休憩で立ち寄ったときにテラスで試してみたのだが、突風で糸が取れてしまい、再び戻って来て昼食をとったあと、糸を付け直して再チャレンジ。今度は一応それらしく揚がった。
 周囲の外人観光客は、お、なんだなんだとこっちに注目するし、遊びに来ていた地元の子供も、いいものがあるなあという目で見ている。はるばるやって来て凧揚げに興じる酔狂な観光客は滅多にいないだろう。バカの国からバカを広めにやって来たようなもんだが、当人は「どんなもんだい」と得意なのだ。そういえば種村サンの本の中に羽織袴に着替えて登場する学生が出てくるが、あれはこのホテルが舞台だった。だから、従業員は「バカな日本人」を見慣れているに違いない。
 湖からは少し離れたホテルのテラスで、しかも風の具合があまり良くなくて5メートル程しか糸を繰り出せなかったので、夢に描いた「湖上を漂う凧ひとつ」という情景は実現できなかったが、まあとりあえず目的は達せられたこととしよう。

 居合わせたモリソン夫妻(彼らは我々と付かず離れずしていつも近くにいた。数少ない開放都市を、当局と調整した日程で回るのだから、パック旅行も個人旅行も変わらないという見本だ)も一緒に入って記念写真を撮ったあと、湖畔の博物館へ。
 ここらが団体旅行の強みで、鍵がかかっているのをガイドが開けてくれて、フランス人の団体と一緒に中に入る。仏国観光団にはガイドが付いておらず、地元のガイドとしては見捨ててはおれないのだろう、本来がフランス語のガイドだから、まず彼らに館内の説明を始める。言葉が通じる嬉しさからか、それとも郷土愛に燃えているのか、実に熱心に説明するのでちっとも終わりそうにない。退屈しかかった我々にルーダが付近の地層やら動物の説明が書かれたプレートを英語に訳してくれるのだが、もともと固有名詞や学術用語ばかりなんだからキチンと訳せるわけがない。このあとあっちのガイドが説明してくれたところで、今我々が見たまま感じたまま以上のことが理解できないと気づいたので、それなら外に行ってナマのバイカル湖に親しんだ方がいいぞと、ぞろぞろ表に出る。
 丘の斜面に寝っ転がる人もいたし、桟橋に降りていって車座になってUNOに興じるグループもいたが、これだって充分バイカル湖に慣れ親しむ方法のひとつだ。あわただしく観光地を駆けずり回るよりはずっと心に残る。
 さて僕は何をしたかというと、靴下を脱ぎ、ジーンズの裾をまくり上げて湖水に足を入れてみる。バイカル湖でやりたかったことのもうひとつ「水中撮影」というわけで、こないだから『写ルンですHi』にこだわった理由はここにある。桟橋の上からルーダが何か叫んだが、きっと「わたなべサン、クレージー!」とでも言ったのだろう。耐えられないほどではなかったが、やはり水は冷たい。今日見ているバイカル湖は青々とした水が一面に広がっていたが、昨日車窓から見た対岸はどこもかしこも氷だらけだったのだ。そのことを思い出して、ふと傍らを見ると、畳2枚分くらいの氷が打ち寄せられていた・・・。

修羅場土壇場でもUNOに興じる一行 バイカル湖は世界一の深さと透明度を誇る
 結局凧を使ったのはここだけだった。本当は街中の公園でも積極的に遊んで、最後は子供にプレゼントするつもりだったのだが、つい街歩きに夢中になってしまい、凧どころではなかったのは今思うと残念である。
 水中写真の方はまずまずのデキで、防水ハウジングの威力はなかなかのものだ。僕はこのところ海に潜りに行くということをしないので、これはもっぱら温泉カメラとしてしか使っていないが、なるほどこれならスキンダイビングにも充分使えるぞ・・・と思っていたら肝心の『写ルンですHi』のパッケージが変更になり、このハウジングが合わなくなってしまった。