教会で少しは真面目なことを考える


レーニンの壁画は見飽きたが
キリストよ、汝もか
 目が覚めると、パンツはまだ湿っていたが、シャツはすっかり乾いていた・・・いきなりヘンな話ですまん。夜中に雨が降ったらしく道路が濡れていたが、日中は晴れそうだ。その前に雪が降ったこともあったが列車の中だったし、このあとブラーツクというところで雨になるのだが、ずっと建物の中にいたので、結局この旅は最後まで天気には恵まれたことになる。

 朝の散歩を済ませてきて朝食。普段とはまったく違って健康的な生活を送っている。この日の朝の散歩には大事な目的もあったのだが、それについてはバイカル湖から戻って来てまとめて話そう。
 さて、今日はそのバイカル湖観光だが、その前に少し市内を見て行こう。本日は地元のガイドもついて来る。このガイドは「当局の事情」によりフランス語のガイド。我々の中の誰もがフランス語はできないし、ルーダも英語のガイドだ。どうしよう・・・と心配することはなかった、ロシア語があるではないか。右手に見えますのはと現地ガイドがロシア語でルーダに、ルーダが英語でマル添に、マル添が日本語で我々に。我々がなるほどと思う頃には肝心の物件は遙か後ろになっているというわけだ。
 キーロフ広場の脇にある教会の前にバスを停める。壮麗なロシア正教の寺院。一目見て、これはこれはと息を飲んだ。建物の立派さに、ではない。外壁にまで聖画が描かれ、キリストの肖像が大きく描かれている。ソ連に来て以来、ビルの壁のレーニンにはもうすっかり慣れたが、まさかキリストも、とはね。いやはや恐れ入った。
 バスを囲んで3軒の教会が建っていたが、1軒だけが煉瓦作りの尖塔を持った建物で、建てられた時代も新しそうだった(そりゃ、ただ見ただけでは汚れているので古く見えますよ。ワタシャ、デザインの話をしておるのだ)。例の口移しの観光案内のせいで、3軒ともロシア正教会ということになっていたが、これはどうも違うぞ。だいいち、屋根の十字架がロシア正教のものではない。ルーダに本当にそうなのかと訊くと、あれはポーランド人が建てたカトリック教会だという。教えてくれたルーダの表情がどことなく険しく見えたのは気のせいだろうか。ソビエト政府は信教の自由は認めているが、宗教活動には弾圧的だというし、ポーランドというのもソ連とはいろいろ因縁があるところだ・・・と勘ぐってみたところで、深く尋ねるだけの語学力は持ち合わせていなかった。

 この場所では思いがけずいい場面に出っくわした。教会の裏手が無名戦士の墓になっていて、ちょうど衛兵交代の時間だったのだ。衛兵といっても本物の兵士ではなく、学校から優等生が選ばれるという話は前に本で読んだことがある。そう思って見ると、なるほど賢そうな少年少女が誇りに満ちた表情で、カメラを持って駆け寄る我々観光客に見向きもせずに務めを果たしている。
先頭の少年の凛とした顔をファインダーで捉えながら、僕は山本晧一サンの写真集『地球見聞録』の中の1枚を思い出していた。あの写真も、やはり無名戦士の墓を守る少女の写真だったが、それは美しい反面、どこか悲しげであった。この儀式に携わる彼らの心は純真なものかも知れない。だが、この儀式そのものは本当に純真なものだろうか。目の前の少年の真剣な表情を支えているものの実体は、実は空虚なのかも知れない。頭の隅でそう思いながら、もちろん大部分は観光客のノリで、シャッターを押した。

 内部を見学できる教会があるというので、街の反対側の修道院に行く。なるほどここは先ほどのデンとした教会よりはぐっと地味になり、人々が暮らしの中で気軽に訪れるという雰囲気がしていた。
 ロシア正教の教会の特徴は、イコンと呼ばれる小さな聖画が壁一面にかけられていることにある。だから、ローマカトリックのような絢爛豪華とか壮麗という雰囲気からは少しはずれるが、それなりに「素朴な中のきらびやか」さがあるという程度の知識はあったものの、実際にこうして中に入ったのは初めてだ。なるほどなるほど。
 だが、僕の興味はどちらかというと美術的なものだから、堂内の様子をあるがままにみてくるだけしかないのであるが、見てくるだけにしては重いものを見てしまった。僕のすぐ目の前で一人の老婆がマリア像に頬を寄せて口づけし、十字を切った。自分は今、この人たちの信仰の場に興味本位で入って来てしまったんだな。こんな後ろめたさは日本の神社や寺院ではあまり感じたことはない。それだけ迫力が違ったのだ。政府と宗教と、どちらが未来を約束してくれるかを論じる資格は僕には、ない。