何もかもが美しく、飽きない(ロシア号の3日目)


走っても走っても北海道
だが、飽きるという気持ちはわいてこない

 飽きるほど列車に乗って「おおい、車掌さんや。汽車旅もいいが、こう一ン日中景色が変わらないと、退屈で、退屈で・・・あ〜ぁ(あくび)、ならねぇ」と落語の『あくび指南』をやるつもりだったのだが、何やかやといろいろあって、ちっとも退屈しない。たまにボンヤリ外を見ていても、前にも言ったようにメディテーションしてしまうので退屈という気持ちを超越してしまう。外の風景は相変わらず北海道で、景色に変わりばえがしないとはいうものの、列車が進んだ分だけは緩やかに変化していて、外の大地は少し肥えてきたように見受けられる。大気の中にも人の気配が漂っている感じが濃くなってきた。
 昨日は雪が降っている場所もあって、5月といえどもさすがはシベリアと思ったりもしたのだが、今日は沿線の民家に人のぬくもりを感じるせいか、うららかな春の日、というムードだ。
「これならモスクワまで乗っても大丈夫だな」
 モスクワまであと3泊。あっという間に着くのか、それともいよいよ退屈が始まるのか判らないが、まだまだ乗っていたい気がした。だが、残念ながらロシア号の旅は今日でおしまいだ。ただし、イルクーツク着は現地時間の19時55分、食堂車で夕食を食べてからの下車になる。

通路に貼ってあった時刻表
モスクワ時刻で統一表記
 ハバロフスク−イルクーツク間3,340km。ダイヤ通り走れば56時間45分の旅である。3日目の今でこそ線路脇に建物が増えたが、最初はしばらく走ってはポツリという程度だったので、さすがはシベリア鉄道だと、何がさすがだか判らないが妙に納得してしまったのだ。
 それにしてもよく作ったものである。作るだけなら囚人やら捕虜を動員してイッキイッキでやれば、まあ出来ないこともないが、その後の保守が大変だ。建設より、むしろ維持する努力に頭が下がる。原野の真ん中で保線作業をしている人たちがいたが、彼らはどこから来て、どこへ帰るのだろう。
 そんな原野の真ん中で線路脇の草が燃えている場所が2個所ばかりあった。おそらくはタバコの投げ捨てだろう。ロシア人のマナーはあまり良くなく、僕は旦那車掌やスパイ風ガイドが吸い終わったタバコを列車のデッキからそのまま投げ捨てるのを目撃していた。
 タバコだけではない。いつだったか食堂車からの帰り道、車両の連結部(太鼓橋のように盛り上がっていて、このごっつさと幅の広さが車両の大きさを感じさせた)のところでゴミを捨てているオバちゃんに出会って、これはこれはと思ったら、食堂車のデッキでは厨房のゴミをまとめて捨てていましたよという目撃談も聞いた。確かに良くないことではあるが、これくらいのゴミなんて平気で飲み込んでしまうシベリアの雄大さを感じさせる出来事でもあった。
ハバロフスクで買ったトランプ

 「社会主義ゆうんは付加価値を付けんのですわ」
 声をひそめて前田氏が言った。声をひそめたのは盗聴を恐れたわけではなく、この人のクセである。日本の関西人、世界のアメリカ人というほど各地でやかましい奴がはびこっている中で、ちょっと珍しい人だが、問題は発言の内容だ。これがソ連の謎を解く大きな鍵になる。
 この国は一部の貴族だけがぜいたくすることをやめて、みんなで同じ暮らしをしようとした国なのだ(理念は、ね)。だからそんな手のこんだ物は作ってられない。あるレベルで「これでいい」と言ったらそこで終わってしまうのだ。ベコベコのバスやタクシーも「乗れればいい」し、本も「字が書いてあればいい」。女も「若いうちだけ綺麗ならいい」・・・とにかく用が足せればいいじゃないかという態度でこれまで国の発展にエネルギーを注いできた国なんだと思えばだいたい納得できるのだが、それでもまだ疑問が残る。公共の場所にあるトイレの便器に便座がないのは、いったい誰が「これでも用が足せる」と思ったんだ? ソ連のトランプに2〜5がないのは誰かが「このほうが99をやる時に勝負が早い」と言ったのだろうか? 革命以後、キングとクイーンはなくしましたというのなら面白い洒落になるのだが・・・。

 もう何度「しかし、金がかからない旅ですなぁ」という会話をしただろう。あわただしく観光地を駆けずり回ったり土産物屋に駆け込んでブランド物を買いまくる旅とはえらい違いだ。金を消費せずに時間を消費する旅・・・帰ってから読んだ週刊誌にこんな言葉が書かれていたが、我々の旅もまったくその通りだ。もっとも、ここに来るまでには結構な金がかかっているのだが・・・ボンヤリするために金を払うのがいかにも現代的だと思う。