白樺屋騒動


 市内観光をほぼ終えて(この程度なら歩いても充分回れるぞ。無事にこのままの日程でゆけば最後に丸一日フリータイムになりそうだから、存分に歩こう)、バスはベリョースカの前に停まる。ベリョースカというのはロシア語で白樺のことだが、いわゆるドルショップの愛称でもある。外国人旅行者の便を図るという名目で土産品やら酒、煙草、モスクワなど駐在員のいるところでは日用品までもが並べられ(イルクーツクのホテルや空港でパナソニックのビデオデッキを見たが、どう考えても旅行者が買って行くとは思えない)て、いちいちルーブルに両替しなくても西側諸国の通貨ならそのままOK、というよりは初めから外貨獲得が目的の店なので、ルーブルは使えない。
 我々の場合、これからシベリア鉄道3日間の旅が控えているので土産というよりまず食料を仕入れておこうというわけだ。もちろん列車に食堂車は付いているが、期待に反したときの用心というか、退屈しのぎについ手が出るおやつの用意なのだ。ところがこの日はあいにくの日曜で休み。ルーダが言うには、今日は市内に旅行者が多いので特別にOpenする筈だったのだが、ということなのだが。しかしすでにソビエト・インフォメーションが効いているから、こんなことぐらいでは
「ええっ!? そんなぁ!」と騒がないのだ。
「あ、そう」(昭和天皇の口調でやってください)

大きなソロバンに注目
 ルーダは気の毒がってマルクス通りにある一般の食料品店に案内してくれた。ああそうだ、この店の一角は前の晩に外から覗いていて、瓶が並んだ様子や中でたむろする男たちの雰囲気から酒屋であると判断したのだ。今じゃ日本ではあまり見かけなくなったが、量り売りして飲ませてくれるらしい、と。それが今日、店内に入ると
「わぉ、何てこったい!」(ポパイの口調でお願いします)
 もうすっかり馴染みになった、例の甘ったるいジュースの売場であることが判った。やい、大の男がカウンターに片肘ついてジュースなんか飲むんじゃない!
 と啖呵を切った後で我にかえると肝心なことを思い出した。僕は普段間食をしないのである。それから、どこかに一人で出かけたときには平気で昼食を抜いてしまう。つい、みんなにつられて何か買っておかなければと逆上してしまったが、考えてみれば食料を買い込む理由なんかなかったのである。
 そう気がつき、一歩下がった余裕のまなざしで他人の買い物を横から覗いたり、店内のあちこちを見て歩くことにした。

 ちょうどいい機会だから、ソ連に於ける買い物の実際、というのを説明しておこう。カウンターなどに並べられている商品の中から自分の欲しいものを見つけたら値段を確認する。商品の値段はしっかり表示されているので、この点は楽なのだが、夕方の食料品店なんかだと物凄い行列ができるので、カウンターに行き着くまでが大変になる。値段が判るとレジに行って(当然レジも時間帯によっては長い行列)金を払い、レシートを貰ってくる。改めてカウンターに行ってレシートを渡して「これが欲しい」とワメいてようやく商品の授受ということになる。
食料品店ではちょっとしたものは
外でも買えるようにはしているが
それでも店内の行列は外へはみ出す
 なんとまあ七面倒くさいことではあるが、日本だって役所の2階にある建設課にその町の地図を貰いに行くと「これ、有料なんだよね。ここじゃ現金を取り扱えないから1階の受付の脇にある会計課に行って払ってきて」と伝票を渡されてしまうことはよくあるわけで、ここは社会主義だから国中でお役所仕事をしていると思えば腹も・・・やっぱり立つか。

 前田氏はカウンターの向こうにいるネエちゃんに、ちょっとちょっとと手を振って、これを2個、こっちも2個と手振りで缶詰を注文し、ネエちゃんが金額を書いてくれた紙片を持ってレジに金を払いに行った。器用なものである。
 2階に行くと、表通りに面した方はお菓子の売場で、我々のグループの女性たちはここにいた。包み紙や色彩りは地味であったが、甘さだけは充分にありそうな感じ。
 ロシアの底力を内に秘めて並ぶお菓子というのはあまり好みじゃないので、さっさと移動したのだが、その裏側に鍋やら食器やらを置いているコーナーを見つけた。ちなみにここは最近ソ連にも導入されつつあるというセルフサービスのスーパーマーケット方式になっていて、レジ係のネエちゃんは「さあ、欲しい物をどんどん持って来やがれ」とでも言いそうな挑戦的な顔をしてラッパ飲みしていたジュースの瓶を傍らにドンと置いた。なんだかゴングを待つボクサーのようだ。
 よっしゃ、受けて立ってやろうじゃないかとぼくもめぼしい物を探し始めた。どういうわけか僕は旅先で、いわゆる観光土産のキーホルダーなんかより、どこにでもある日用品を買って帰るのが好きで、これまでも霧多布で買ったサインペンとか京都で買った歯ブラシ(単に持って行くのを忘れただけ、という気もするが)なんていうのがあるのだが、使うたびにその町の光景とかその日の出来事をありありと思い出せて、旅の記念という効用は充分果たした上で、当然のことだが、実用的でもある。
 そんなわけで目玉焼きを作るのに良さそうな小さなフライパンを見つけたのだが、これからイルクーツクまで列車に乗るというのにフライパンを買うこともないわけで、とりあえずこの勝負、ネエちゃんの不戦勝にしておく。来週この街に戻ってきたらリターンマッチをするからな。

 さてさてベリョースカの話だったのだが、すっかり横丁に転がり落ちてしまった。まあ、ハバロフスクは坂の多い街だから、これぐらいのことは仕方あるまい。
 我々が買い物をしている間にルーダはオフィスと連絡を取って駅のベリョースカが12時に開くことを突きとめた。小さな売店程度の店なので内容には期待できないが、アルコール類は入手できるだろうという(もっとも、我々より1日早い日程で動いている多くの観光客がいるわけで、物資が乏しいソ連のこと、売り切れているかもという危惧があった)・・・そうだ、アルコールだ。ウォトカのように強い酒はいらないが、ビールは入手しておきたい。ホテルに戻っての昼食の後、いよいよシベリア鉄道に乗るために駅へ行くと(バスを降りるとき運転手に「ダスビダーニャ」と言うと、大袈裟に挨拶を返してくれた。前日のスチュワーデスもそうだったが、すごく気分がいい)、ちゃんとビールが並んでいて僕の心配を吹き飛ばしてくれたが、並んだのはビールだけじゃない。売り子が一人しかいないので客がさばけずに、こちらも行列。列車の時刻が迫っていることだし、誰かが代表してまとめ買いをすることになり、我々のグループの中で一番先頭寄りにいた河野氏に頼む。
購買システムの不備を補完するキオスク
いろんな物を売っている
「50本!」
 ベリョースカの売り子は、おまえ本気かという顔をして目をむいた。
「ニホンジン、オソロシイ」と思ったに違いない。5つにもなったポリ袋を手分けして持った我々はいい気なもので、
「列車に乗ったら、コンパートメントの入口にベリョースカと書いておこう。売店を開こうよ(なぁトチロウよ、昔、浜中YHでやったよな)」と無責任に騒いでいた。

 ところで、こうやって大胆なビール購入作戦を展開し、後はすみやかに列車内に運び込むだけだというのにロシア号は遅れているらしく、さらに待合室にとどまることになる。そうなると、ついふらふらと再びベリョースカを覗いてみたくなるのが人情というもので、ウォトカに興味がないそぶりを見せていたワタクシではあったが、他人のウォトカを貰うための道具、つまりぐい呑み(みたいなもの)を買ってしまった。2ルーブル5カペイカ。もちろん払いは日本円で432円。
 あれっ、新潟でうまく10円以下の硬貨を使い切って、持ち出した円の計算がしやすいと思っていたのに、まさかソ連に来て10円5円1円三役揃い踏みで釣り銭を貰ってしまうとはね。目下日本では消費税導入で1円玉が不足気味らしいんで、これを持って帰るとするか。ソ連が外貨獲得に励むのなら、こちらも円を奪還してやることにしよう、と思ったのであった。