ハバロフスクは小さな街か?


コムソモール広場
左のビルにはレーニンの姿の垂れ幕が
 ガイドブックにもそう書いてあったし、同行者たちもベッドが狭いと言っていたが、僕は全然気にならなかった。まったく、いつもはどんなところに泊まっているのだろう。ただ、窓の隙間から入ってくる冷たい風にはマイッたが。
 ホテルの近くを散歩したり、売店で絵ハガキを買ったりして朝食前のひとときを過ごす。絵ハガキを買ったのは、もちろん欲しかったからでもあるが、これから汽車旅をするのに小銭を作っておきたかったからで、カペイカ(硬貨)はないかと嫌な顔をするオバチャンには悪いがルーブル紙幣を出して釣り銭を貰う。ソ連に限らず、こまごました安いものを買うには小銭を用意しておいたほうが楽である。もっとも、最後に小銭を余らせると再両替が効かないので、旅の終盤で上手に使い切るようにしなければ。

 さて、午前中はハバロフスクの市内観光。インツーリストの大型バスに乗り込むのは、昨日と同様に我々16人とマル添、このあと全日程を通して一緒に行動する(監視する?)ガイドのルーダだ。彼女の名前をローマ字で綴るとLudmilaと書くそうで、ソ連のルポを読んでいると時々リュドミラという名の女性が登場することがあるので、ロシアではよくある名前なのかも知れない。でも、とても正確に発音できそうもないので以後ルーダで通す。美人で気さくな人。若く見えるが、上は14歳になる2人の子供がいるらしい。我々にとっては「大当たり」のガイドであったが、そのへんが身にしみてくるのはまだ先の話。とりあえず今の段階では彼女が英語しかできない(日本語ガイドは出払っていた。日ソ旅行社のツアーに付いたガイドは日本語ができたので、やはり力関係か、という思いが頭をかすめた)のが、ちょっと不安であった。
栄光広場
花や赤いリボンが供えられている
 などと書いているうちに動き出したバスは坂道を登ってすぐ停まる。今朝僕が散歩した場所で、市内名所その1、コムソモール広場というわけだ。いったん降りて写真を撮ったあと再び動いて2、3分行くと栄光広場。
 永遠の火と呼ばれる炎の背後を囲むように建っている壁に、戦没した兵士の名がびっしりと刻まれていた。これを見たら、スケールは全然違うが、ふと北海道浜中町にある世帯名鑑(浜中町の開基100年を記念して作られた同様の壁で、当時の各世帯主の名が刻まれた煉瓦がはめこまれており、ムツゴロウこと畑正憲さんの名もある)を思い出した。あとから思うと、この連想は今回の旅の大変重要な鍵になる。

 バスはレーニン通り、ウスリー並木通りをうねうねと回って(直行するとすぐに着いてしまうので、一応市内を見て回ろうという道順のようだ)レーニン広場へ。僕は車窓の風景に心を奪われていた。マル添は見るべき所はほとんどない街ですがと言ったが、西洋館や普通の家並みが好きな僕にしてみれば、こう全部いっぺんに揃ってしまっては金縛りにあったようになってしまう。本気で見て歩いたら何日あっても足りそうもない。一軒一軒つぶさに検分して行きたいほどだ。
ハバロフスクでは
もっとも古い建物の一つという
 そりゃあガイド付きのバスに乗っていれば、これはどういう建物だかの説明は聞けるが、僕の場合は綺麗だ、デカい、と単純に感動したり、これはゴチック様式を現代風に取り入れているのかなとかってに決めつけたりするのが好きなんだよな。そして、どうしてももっと詳しく知りたくなれば、そこで初めて人に尋ねたりガイドブックを見て調べればいいんじゃないかな。外国だと言葉が通じなくて苦労するけど、その苦労が、結局目的が遂げられなくても、想い出になると思う。
 バスがレーニン広場に着くと、僕はひとり広場に背を向けて今来た道をとって返し、車窓から見た古い民家の写真を取りに行った。レーニンさんは好きでも嫌いでもないが、今見えたあの家は間違いなく好きになれそうだった。

駅の時刻表は赤い針が基準
 市内観光の最後に寄ったハバロフスクの駅で、短針が2本ある名物の大時計を写す。僕の時計はデジタルとアナログの両方がついているが、ここでデジタルの方を赤い短針、鉄道ダイヤの基準となるモスクワ時間に合わせておく。かの地との時差は7時間、まだ草木も眠る午前3時だ。