ロシア通貨の使い初め


 道を歩きながらバカなことを言うのも結構人通りが多いからで、地味な格好をした人が多いのは勤め帰りといった雰囲気。シフト制か何かで、こんな時間まで仕事をしているのだろうか。こんな時間というのは夜の9時半ということで、さすがにこの頃になると夜も本来の業務を思い出したらしく、急ぎ足で暗くなってきて、錠をおろした店も多くなる。食料品を扱う店が頑張っているのはやっぱり仕事に帰りに買い物をしてゆく人がいるからだろう。広い店内いっぱいにタマネギとニンニクしかないという物凄い八百屋(むしろ二品屋と呼ぶべきだ)があって、よせばいいのに中を覗いた岸本、南田の両名は「入っただけで目が痛くなった」と言いながら出てきた。
街角にあるジュースの自動販売機
一杯3K(約6円)
 ソ連の旅行記なんかを読むと、たいてい入国したばかりの部分は皆「暗い」と書いてある。確かにその通りで、ホテルのロビーも照明を半分ほどに落としてあり、時計を世界相場より1時間進めたうえに、まだ肌寒いこともある4月からサマータイムを実施するなんて、節電政策は徹底している。夜の街を歩いてもキンキラキンのイルミネーションはないし(考えたらこれが健全な暮らしぶりかも知れないが)、昼間よりさらに薄暗くなった店に入って中を冷やかすというのは少々ためらいがある。それに、この時間に開いている店は今も言ったように限られている。

 歩道からガラス窓を覗き込んでは「ここは何の店だろう」などと言っているとジュースの自動販売機に出っくわした。
 ソ連にこういう自動販売機があるというのは本で読んで知っていたし、空港からホテルに向かうバスの中から市内のあちこちにあるのを見て、ああこれがそうかと思っていたのだ。実際にこれでジュースを飲んでいる人も目にしていた。近寄ってよく見ると「3K」と書かれている。しめた、3K硬貨なら持っているぞ、というわけで試してみることにした。日本の物と、そう極端に構造が違うわけでもあるまい。
機械もジュースも素朴で
懐かしさを感じる
 見てくれがお粗末だから、複数の硬貨を受け付けたり、釣り銭を出すという芸当はできそうもないと思われたので3K硬貨を投入口に入れる。ガラスのコップを逆さにして、ジュースの受け口の右側の穴に押しつけると下からごぼごぼと水が湧き出てくるので、まずそこでコップを洗う。続いてコップを左側に立ててボタンを押すと上からジュースがジャーッと出てくるという、大変簡単な仕掛け。味のほうは、安いだけあってかなり薄い味だが、そのほうがかえって後味が残らずスッキリしている。街の人も気軽に飲んでいるところを見ると、ちょっと水代わりという程度の物だろう。
 それにしてもガラスのコップがデンと置いてあるのには恐れ入った。こんなのは絶対に日本では許可にならない。日本でも昔は自分の手で紙コップを引き抜いてセットするやつがあったけど、今はすべて紙コップが自動的に出てくるようになっている。不特定多数の人がひとつのコップを使うなんて、しかもそれが埃っぽい街の中に置かれているなんて、と病的なまでに潔癖性になった最近の人たちは言うかも知れない。だけど、厚手のガラスの口あたりはジュースの味を数段旨くする。唇に不快な紙コップなんぞ、くそくらえだ。
 と褒めたガラスのコップ方式にも欠点がある。どこの国にも不心得者がいるらしく結構あちこちの機械でコップがなくなっていたのは残念だった。街を歩いていて、行列に並ばずに飲み物を手に入れる手段だったのに・・・。同志よ、どうしてくれるのだ。

 このあとホテルに戻り、シャワーとビールで一日の終わりとなるわけだが、さすがにこの日は何もかもが物珍しかった。すでに通常の『こないだ』一冊分である。しかしどうも相手のペースにはまった感じもあるので、自分らしさを取り戻さなければ、と少し思いながら寝た。