チェンジ マネー


 さっき空港で両替するヒマがなかったので、ホテルのフロント脇のカウンターで替えておく。3,000円が14.25ルーブルになった(その後、ここで替えた金は円に再両替ができないことが判明する。両替をした書類は発行するのだが、税関で通用しないらしい。正規の両替所は隣の窓口で、そこは係員がいないことが多かった)。

さっそく現れた
「両替してくれ」少年
 両替していたので、散歩といってもそう遠くまで行けない。例の「МИР」と大書きされた看板が立つホテル前の小さな公園のベンチに座ってみる。すると高校生くらいの少年が「コンニチハ」と日本語で声をかけて来た。おっ、さっそく現れたな。用件の見当はついているぞ。
 僕を日本人と見抜いて日本語で話しかけてきたところまではなかなか研究熱心であったが、彼のボキャブラリーはそこまでらしく、すぐに英語に切り替わったその内容は案の定「両替してくれ」「靴(スポーツシューズ)を売ってくれ」「シャツを売ってくれ」というものであった。
 彼らが円やドルを欲しがる事情というのは、ソ連の街には物資が乏しいというところに由来していて、早い話、金さえ出せば何でも手に入る日本人の目から見るとロクなものはない。つまり彼らにしてみれば金があっても買うモノがないわけだが、そんなソ連の街にも「ちょっといいモノ」が安定供給されている場所がある。外国人相手の売店『ベリョースカ』とホテルの外貨バーだ。ただしここではソ連のルーブルは使えない。宝の持ち腐れルーブルと、ドル(西側通貨)なら買える品物、というところにヤミ両替が発生する。公定レートの3〜5倍というが、僕が出会った範囲ではそれほどおいしいレートではなかった。それにべらぼうな額のルーブルを手に入れても、普通の観光客では使い道がなく、再両替もできない。結局「ルーブル紙幣は持ち出しちゃ駄目」というソ連の政策によって没収されてしまう。かくて世界経済におけるルーブルの地位は、高い低いはともかくとして、安定するというわけだ。うまい仕組みだ。
 そういうわけで僕はそのテの申し出をその後も断り続けたのだが、声をかけられたのは大半の場合ハバロフスクのインツーリストホテルとベリョースカの周辺で、相手はちょっとしたスリルを味わいたい世代の若者であった。
 しかし、「両替お断り」「この靴は1足しかない」「シャツをおまえに譲ったら風邪をひく」と断り続けても(こちらの英語力も貧相なものだ)、話に聞いていたほどあっさりとは引き下がらず、結構しつこく食い下がったぞ。

 夜遅くホテルの外貨バーにビールを買いに行ったときも、入口近くに若い男が数人たむろしていて同様の交渉を持ちかけてきた。この時は場所が地下の薄暗いところだっただけに、さすがにおっかなかったが、ハバロの兄チャンは「中でアメリカ煙草を買ってきてくれるだけでいいんだ」と紳士的に迫ってくるのであった。